家のドア、ちゃんと開けておかないと帰れない

日記
 
深夜、オープンカータイプのバス乗る。
タクシーじゃなくてこれはバス。
むき出しなので風が物凄い。
 
兵庫県 芦屋駅、深夜2時くらい着。
終電ないけど。
「タクシーで帰ろうと思う。」
 
駅の近くの田んぼ歩く。
花火上がってる。
真夜中なのに家族が沢山いる。 
動画撮る。
「家のドア、ちゃんと開けてきたっけ?」と、そのとき思って、田んぼで花火を見ていたら朝が来た。
 
 
明日は、道重さゆみのラストライブ。
「ちょうど飛鳥寺で仕事だからワンチャン。」
 
迷って迷って会場に着く。
ラストライブなので、ライブの最後が一番の見所なはずなのに、最後の曲の途中でみんな席を立ってさゆみんに手を振りながら帰ってしまう。
そのとき、「どんなに流行った人でも、最後の最後まで居てくれる人は少ない。」と、思う。
 
 
…………………………………………
 
年をとると帰路につく夢をよく見るというのはまことか。という話を学生時代に夢分析の本で読みました。人生は円環の旅、折り返しを過ぎると帰り始める。そういえば認知症のお年寄りはよく仰いますね、「そろそろ帰らせて頂きます」。そこが自宅であれ病院であれ老人ホームであれ。
 
思い返せばわたしも、思春期の夢の現場はいつでも家だった気がします。基本家と家の周辺で戦っていた。気が付けば、家を出て、これです。なんやかんや帰ろうという意志はみせるものの、なんやかんや帰れない。きっと人生、まだそういう時分なんですかね。
 
 
 
最高の娯楽。
残業なんかやってる場合じゃない。
はやくわたしを眠らせて 夢見せて。